日刊コタノト。

ランニングと「食」を中心とした日々の雑多な記録を綴るノート。

コメディをシリアスに あるいはその逆

「似てる」の発見、楽しいです。

ぼくはそこそこ映画を観たり (小説を読んだり) するので、まあ平均がどんくらいかってのは知りませんが、それよか多めに「フィクション」に触れてるほうかな、と自分では思っています。

映画をたくさん観てると、「あーこの映画のこの部分はあの映画に似てるなあ」なんて思うことがよくあります。細かいシーンだったり、大きな枠組みだったり、あるいは根っことなるアイデアだったり、似ている部分はさまざまですが、そーゆうのに気づくとけっこうニヤリとできます。

このちょっとした「気づき」を得たいがために、絶えずいろんな作品を見てるんじゃないかとさえ思うほどに、そーゆうのを発見したときは楽しいです。

そういえば『数学ガール』の結城浩さんが、「パターンを見つける」のが (科学を) 研究する楽しみ、みたいなことを言ってたっけ。科学ってのはある種のパターンを「発見」することがひとつの目標、みたいなところがありますからね。それに、まったく別々だと思われていた事柄が繋がるってのは、快感であると同時に有用でもあります。

振り子の運動と円運動が「似ている」。水の流れと電気の流れが「似ている」。電気の性質と磁石の性質が「似ている」。振る舞いが似てるんなら、おんなじ式や法則を使えるんじゃね、みたいなはなしです。うん、あんまりうまい説明じゃないな。

フィクションのはなしに戻ると、いろんな「似てる」を見つけたとき、以前は「これって作り手はあの作品を意識してるのかなあ」なんて思ったものですが、最近は「作者が意図してるかどうか」てことにはあんまり興味がなくなってきました。まあぼくがそー思ったんだからそれでいいじゃん、みたいなスタンス。別に答え合わせがしたいわけじゃないですから。

たとえば最近観た『鍵泥棒のメソッド』は、『ボーン・アイデンティティー』をコメディにしたみたいな感じだなあとか、今読んでる小説『聖なる怠け者の冒険』をシリアスにしたら『インセプション』になるなあとか、そんなことをあれこれと思いついてはニヤニヤしています。

で、こーやって考えてくと、何やら新しい「創作のアイデア」みたいなものも見つけられるんじゃないか、なんてことをふと思いました。うん、この言いかたはちょっと大げさかもな。

一見すると全く異なるジャンルの作品でも「似てる」と感じることがある。てことは逆に考えると、何かしら面白いなと思った作品の雰囲気をガラリと変えてみる、てのはある種の「アイデアのタネ」になるんじゃないか、てことです。

先に挙げた例みたく、「コメディをシリアスに (あるいはその逆) 」てのはなかなかうまい (巧い。旨い。いろんな意味で) 手法のような気がします。カードの裏表みたいな感じですけど、設定を変えると必然的に周辺のいろいろはまるっと変わるので、原型をとどめようがありません。

ここをこーするならあそこはこーしないとおかしい、みたいな感じで、むくむくと発想が進んでくんじゃないかな、とゆう気がします。

これが例えば「シリアスからシリアス」とかだと、ちょっとでも似たところがあるだけで、すぐにパクリみたく感じちゃうんじゃないかと思います。

たとえば『マイノリティ・リポート』と『プラチナデータ』とか。うーん、アイデア育むって難しいですね。

上質なフィクションに出会ったとき、「よくこんなこと考えつくなあ。どうゆう発想なんだろ」てずっと思ってたんですが、「なるほどこーゆうことなのかな」てのがちょっとわかった、てのはこれまた言いすぎですけど、何だか少しだけ近づけたような気はします。

「似てるを見つける」「ジャンルを変えてみる」「コメディをシリアスに (あるいはその逆) 」あたりがポイントなのかなと思います。

よくよく考えるといろんなところで言われてることのような気するなあ。まあ、いろんな分野を幅広くつまみ食いしてると、少なくとも「似てる」にブチあたることは多いのかなとゆう気がします。

てこの「自分の専門外のことにも興味を!」みたいなのも、よく聞くはなしか笑。

何か今度面白いなあと思う作品に出会ったら、ちょっと試して遊んでみようかなあ。

鍵泥棒のメソッド

鍵泥棒のメソッド

  • 内田けんじ
  • Comedy
聖なる怠け者の冒険

聖なる怠け者の冒険